「わたしは死ぬことを許されない存在。」
「例えわたし自身が死を強く望んでも、それは決して許されない。」
「・・・・・わたしには生き続ける義務はあっても死ぬ権利はないのだ・・・18才のあの時から・・・。」
西暦2119年、ドイツ地方ベルリン郊外でわたしは生まれた。
父は統合政府軍の戦闘機パイロットで母は戦闘機の整備士、いわゆる職場恋愛から結婚に進んだケースらしい。
そんな家庭環境で育ったためか、小さい頃はよく男の子と間違われ、将来の夢を聞かれると「飛行機のパイロットになる」と言っていたそうだ。
両親はそんなわたしによく「もっと女の子らしくしなさい」と言っていたが、当の両親が非番の日などに友人のパイロットたちを家に招いては、いつも大空について一人娘の前で楽しく語り合っているのだからものだから、娘がそうなったのも当たり前だろうと思える。
12才の誕生日、両親がわたしに一人乗りの小型グライダーをプレゼントしてくれた。それまでのわたしの誕生日プレゼントはぬいぐるみや人形などが毎年続いていたが、いつも決まって友達や親戚の女の子にすぐにあげてしまっていたので、ついに両親も根負けして本当に娘の喜ぶプレゼントを贈るつもりになったらしい。
実際グライダーを貰ったわたしはそれからの週末は決まって片道1時間もかけて丘まで行き、グライダーで日が沈むまで飛んでいたし、長期の休暇などはその丘でテントを張り何日、時には何週間も泊まり込んで飛んでいた。
そんなグライダーで飛ぶ日々は3年間も続いた。
おかげでそれまでの友人の多くはわたしの元から離れて行き、意地の悪い同級生などはわたしのことを『丘の鳥人間』と言って馬鹿にしていたが、わたし自身は気にも止めなかったし、逆に『丘の鳥人間』という言葉が気に入って自分からよく使っていた。
また反対にわたしに言い寄ってくる男の子も少なからずいたし、自分でも顔やスタイルではそこらへんの女の子には負けない自信は有ったが、わたしをグライダーから勝ち取れた男の子は結局現れなかった。
15才の時に統合政府軍のパイロット養成学校へ進学する。
両親は一人娘のこの選択に最初は反対したが、結局わたしの「より高くへ飛びたい」という気持ちを尊重してくれたのか、最後には養成学校の教官だった友人に頼んで推薦までしてくれた。
養成学校の寮に入るため家を出ることとなり、その出発の日に父はわたしに優しい笑顔で
「俺の機体の後ろを任せて飛べるくらい一人前になって帰ってこい。」
と言ってわたしを強く抱き締めてくれ、母は涙をこらえながら
「毎日をちゃんと過ごしたことを忘れないよう、日記を書き始めなさい。」
と、かなり年代物の万年筆と分厚い日記帳をわたしにそっと手渡してくれた。
・・・・・・だが、その時の父親との約束は結局果たせなかった。
わたしが入学した2週間後、両親のいる統合政府軍基地で戦闘機用の弾薬の爆発事故があり、その爆発に二人とも巻き込まれてしまったとの連絡がわたしの所に入った。
わたしは急いで両親の所に向かったが、基地にいた両親の友人であり上司であった人が
「見ないほうがいい・・・。」
と言ってわたしを止めたが、わたしは自分の目で見ないと信じられないと食い下がり、結局その2時間後に両親の遺体が安置されている部屋に案内された。
だがそこには黒い炭と化したマネキン人形の様な物が幾つか横たわっていただけだった。
両親の葬儀の後、わたしは悲しみで何もする気になれず気が付くとあの丘に立っていた。
そして日が沈み、真円を描く黄色っぽい月が深淵の空に昇るうち、わたしはいつの間にか夢を見ていた。
夢の中で両親がわたしに優しい笑顔を見せながら遠くで何かを言っている。
わたしは両親が何と言っているのか聞こうと一生懸命に走ったがどうしても近付けない。
しばらくすると両親はわたしに聞こえる声で
「・・・お前の思う通りに空を飛びなさい。」
と優しく囁くと光の向こうへ進んでいった。
夢から覚めると目の前には眩しい朝日が生まれようとしており、わたしはなぜかまたここで風に乗って飛びたいと思った。
グライダーに乗って朝の風の中を飛びながら、わたしは空以外の全てを失った現実を感じ、それと共にわたしに唯一残るこの空だけは決して失うわけにはいかないと心に決め、翌日にはパイロット養成学校の訓練に戻ることにした。
前以上に、より高くへ飛ぶために・・・・・。